→大日本帝國は、昭和20年(西暦1945年)08月12日未明、朝鮮興南近海の日本海で、原子爆弾海上実験に成功。(米國に次いで世界で二番目、ガンバレル方式ウラニウム原爆)
朝鮮興南に、日窒の化学プラントを活用した原爆製造巨大プラント保有。
大日本帝國核物理学は、マンハッタン計画を実行したアメリカ合衆国と同程度に、超一流。
井上功一であります。
米ジャーナリストの
ロバート・ウィルコックス著
矢野義昭訳
勉誠出版刊
「成功していた日本の原子爆弾実験
〜隠蔽された核開発史〜」
410ページに及ぶ大書で
久し振りに読み応えのあった本ですが、
非常に楽しく、興味深く読みました。
大日本帝國に於いても、
若手科学者を中心として、
西暦1938年12月17日に
ドイツのオットー・ハーンとフリッツ・シュトラスマンが、
核分裂を発見した時から、
核分裂時に放出される莫大なエネルギー(石炭燃焼の500万倍)に注目。
これを、
航空機、艦船の無限動力、爆弾に使うことを画策、
核兵器が、戦争を決するとして、
戦前、皇軍(帝國陸海軍)の先見性のある上層部は、
日本の科学者、実業界と一丸なり、
極秘で、
陸軍は、「ニ」号計画(理研の二科芳雄博士中心→ボーアの友人。陸軍は、航空隊司令官安田武雄中将他。昭和20年以降は、「F」号計画へ統合。)
海軍は、「F」号計画(大阪帝國大学の荒勝文策博士中心→アイシュタイン博士に学び、個人的友人。湯川秀樹博士も、ウラン核分裂時中性子発生数2.6個他理論計算で活躍。海軍は、艦政本部)
として、
研究開発、プラント建設に資金提供。
・核分裂、臨界料、中性子の放出数、
原子炉、原子爆弾の設計他
核物理学の理論研究
・ウラン濃縮方法、中性子制御方法とその装置の設計開発。
・鉱山開発を含め、酸化ウラン、トリウム他分裂元素鉱石の調達、精錬プラント建設
・朝鮮興南に、日窒の化学プラントを活用した原爆製造巨大プラント建設
・アメリカのマンハッタン計画も、
諜報により、日本は把握
・珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦、レイテ沖海戦で主要な艦船を失い、昭和19年10月以降特攻作戦を始めていた帝國海軍艦政本部は、敢えて建艦せず、劣勢を挽回する決戦兵器を求め、原子爆弾開発にかけており、本土決戦でも、特攻機に原子爆弾装着し敵上陸阻止を画策。
・日本の核関連施設は、本土以外に、
支那の上海、満洲の奉天(瀋陽)、朝鮮の興南に建設。
・最終的に、終戦の3日前、昭和20年08月12日に、原子爆弾海上実験に成功。
・戦後、ソ連、支那、北朝鮮が、早期に核武装出来たのは、大日本帝國の朝鮮興南原爆製造プラント(地下製造施設、潤沢な水力発電所含め)から核分裂物質、機械設備を接収、再利用。そして、日本核物理学者を、招待、連行、抑留したから。
・北朝鮮原子力計画「最初の父」と言われる李升基博士他、北朝鮮の核物理学者パイオニアの多くは、京都帝國大学で荒勝文策博士から学ぶ。
他
もうほんと、
血湧き肉躍る正史が、
米國最高機密文書を精緻に検証し、
当時の関係者へのインタビューを踏ま
えながら、
記述されておりました。
私(井上)としては、
違和感があり、屈辱的だった
これまでの通説
「戦前日本の核開発は、研究室レベルで、
昭和20年3月10日東京大空襲で
理研の二科研究所が消失してから停止。
先進國アメリカと違い、
原子炉、原子爆弾の実用化製造は、
非常に遅れていた。
戦後、軍國主義が終わり、
民主的アメリカのお陰で科学技術が進歩した。」
「日本は、
原爆開発出来なかった
哀れで可哀想な唯一の被爆國で、
被害者として、
二度と惨禍を繰り返さない為に、
反戦反核平和
憲法改正反対、非核三原則堅持
反対、反対エイエイオー。
といった悲壮な左翼市民運動。」
他
戦後レジームの常識
が、覆り、
大日本帝國は、
プルトニウム239を生産する黒鉛減速型原子炉ですら開発
原子爆弾実験も、アメリカに遅れること
2ヶ月程度で成功。
マンハッタン計画を実行した
アメリカ合衆国と同程度に、超一流だったことが、
明らかになり、非常に、画期的。
本書は、ある意味、日本核武装に対する
アメリカからのシグナルとも言え、
・日本核武装、皇軍復活(日本再軍備)
・更なる皇國史観浸透(帝國科学者・軍人に対する尊崇)
・非核反戦平和左翼運動頓挫
・実は、日本の助力無しには、核武装成し得なかった核兵器自力開発したという核武装國ロシア、支那、北朝鮮への抑止力
として多大なる推進力となり、
日本核武装、皇軍復活の急先鋒たる
幸福実現党の存在意義が、
益々高まることと思います。
*NPT(核兵器不拡散条約)に於いて、
「核兵器保持を許される國」は、
「西暦1967年1月1日の時点で既に核兵器を保有している國」
となっておりますので、
西暦1945年08月12日核実験に成功した
日本は、有無を言わさず、核武装する権利があります。
ところで、
画期的な大書を著された
ウィルコックス氏の史実を探究される尋常ならざる情熱には、
敬意を表します。
また、
訳者の矢野氏は、元陸上自衛隊将官。
日本核武装の第一人者で、
現在は、
國家生存戦略研究会会長。
何度か、勉強会、セミナーで、
日本核武装、日本再軍備の論理他
非常に、勉強させてもらいました。
*一点だけ氣になった点は、
UボートU-234による酸化ウラニウム他
日本への戦略秘密物資輸送で、
ドイツジェット戦闘機Me262
の日本版が「菊花」とされておりましたが、
正しくは、「橘花」
同じ「きっか」でも橘の方。
多分、パソコンの変換間違い。
因に、帝國海軍は、
本土決戦に於いて、
超高速で撃墜困難な原爆爆装ジェットあるいはロケット戦闘爆撃機で、
日本本土へ上陸せんとする米艦隊に、
特攻攻撃予定だった。と思います。
以下、
「朝鮮興南の原爆製造巨大プラント」
について、
少々補足しておきます。
・日本窒素肥料株式会社(現チッソ)
の創業者である
野口遵が、
北朝鮮興南を中心に、
当時、東洋一と言われた
100万kwの潤沢な電力を供給する
水力発電所を含む
超巨大重化学コンビナート
朝鮮窒素肥料株式会社を建設。
肥料のみならず、
火薬、爆薬、液体ロケット燃料、
リアメタル、ウラン、重水
も製造。
*戦後は、水俣病で有名になってしまいましたが、
日本再軍備を恐れた連合国側が、
原爆製造会社であった
日窒にダメージを与える為に、
工作員が、有機水銀を工場排水に流す謀略をしたのではないか。
と私(井上)個人は、
誇大妄想しております。
・当初、原子爆弾製造は、
本土で実施。
B29空襲が激しくなった為、
3ヶ月かけて、興南へ移転。
もし、この3ヶ月がなければ、
原爆の洗礼を、アメリカが受けていたかもしれません。
・興南には、核開発に必須であるカルトロン、EMS装置、熱拡散工場施設、ガス拡散方式分離機、遠心分離機も稼働。
- 関連記事
-
スポンサーサイト
テーマ:北朝鮮問題 - ジャンル:政治・経済
- 2020/06/17(水) 17:13:14|
- 軍事外交、再軍備、核武装、科学技術
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0