世界に冠たる皇國、大日本帝國 Donners Hammer「今日の模様」

天皇弥栄、八紘一宇、祭政一致、必勝神風、神洲不滅、皇軍復活、核武装、暴支膺懲、二韓征伐、排他性一神教撲滅。

【ご参考】ベニート・ムッソリーニ四方山話





井上功一であります。


ベニート・ムッソリーニ四方山話
記述しますので、

ムッソリーニを知り、
朝鮮征伐戦略の
一助にして下されば、
幸いであります。


*余談話で、

黒田長政が、反日かどうか。
という視点がありますが、
反日ではありませんが、
多分、
天下取りに拘る魂ですので、

ムッソリーニの時、
途中で、非業の死を遂げ、
即転生したい。

その転生特例必要条件が、
・戦争等で、予想外の死
・カルマの刈り取り
(今度は、朝鮮人として、
神の軍勢である皇軍(日本軍)に、
征伐される側になる。)
であることで、

朝鮮人になることを、
甘んじているのだと、
考えます。




1.ヒトラーに、度々助けられたムッソリーニ
(1)イタリア軍支援の為、ドイツアフリカ軍団(Deutsche Afrika Korps)派遣
・1940年9月、
連戦連勝の
ドイツ機甲軍のブリッツ・クリーク(電撃戦)に刺激を受けたイタリア軍は、
イギリス領エジストへ進攻。

・しかし、ブリッツ・クリークの本質を知らず、
塹壕戦にとらわれ、
戦車等の装備が貧弱。
貴族趣味な高級将校で、
士氣が上がらず、
敗退続き、

ヒトラーは、
同盟國の惨状を見かねて、ドイツアフリカ軍団派遣支援を提案。

ムッソリーニが受け入れ、
1941年2月に、
「砂漠の狐」と言われた
名将
エルヴィン・ロンメル将軍に率いられた
アフリカ軍団は、作戦開始。
破竹の勢いで進撃、
トブルク包囲迄行きます。
ハァルファヤ峠の戦いでは、
56口径88mm高射砲で、

イギリス軍
重装甲のマチルダ歩兵戦車群を撃破したことが有名。
その後、
病氣療養で
ロンメルがドイツに帰國中、
エル・アラメインの戦いで、
ドイツ軍が敗退するまで、※ロンメル将軍が、いれば、戦況が変わっていた。
とも言われております。



(2)ムッソリーニ救出作戦
・1943年7月
米軍が、シチリア島へ上陸してくると、
イタリアの単独講和を目指して、
ヴィットーリオ・エマヌエーレ3世が、
元イタリア陸軍参謀総長ピエトロ・バドリオを、
首相に任命。
ムッソリーニは、拘束され、
アルペニン山脈高地のホテルに幽閉。


・1943年9月12日
ヒトラーのムッソリーニ救出作戦の命を受けた
オットー・スコルツェニーSS少佐が、
「空挺急襲救出作戦」を敢行。
ホテル付近の空き地に、
グライダーを着陸させ、
数人の隊員で、銃撃戦を交える事無く、
ムッソリーニを救出。
テニスコートくらいの距離で、
離着陸できるフィーゼラーFi156連絡機で、
ムッソリーニを連れて帰還。


・オットー・スコルツェニーは、
武装親衛隊の少佐で、
190cm、90kgの巨漢で、
特殊作戦に従事、当時
「ヨーロッパで最も危険な男」
として、連合軍側に恐れられておりました。

ドイツには、陸軍、海軍、空軍の他、
ヒトラーの私兵から発展した
精鋭の武装親衛隊がありました。




2.笹川良一氏によるムッソリーニ表敬訪問
・昭和14年(1939年)、
國粋大衆党総裁、笹川良一は、
単身、自ら飛行機を操縦してイタリアに渡り、
ムッソリーニを、表敬訪問

・笹川良一氏は、日本船舶振興会、日本財団
世界は、一家。人類は、皆兄弟で、
有名な方です。

・笹川良一氏は、
「大衆右翼」と位置づけ、
ベニート・ムッソリーニを崇拝、
大衆運動の合法的組織化に尽力。
國粋大衆党の私兵も、ファシスト党同様
黒シャツ隊でした。

ムッソリーニは、
日本の民族派(右翼)に多大な影響を与えた面があります。

・また、
笹川良一氏自ら、戦犯になりに行った巣鴨プリズンでは、
東條英機に対して
「あなたの死刑は確実だから、
この戦争が自衛のためのものであったという日本の立場を明確にし、
開戦の責任は天皇にはないとはっきり主張せよ」
と説得したりしておりました。




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