
宇宙のメシアと交流するときのエル・カンターレ意識は十三次元宇宙以上と言える
「観自在力~大宇宙の時空間を超えて~」279頁
大宇宙に 光あり
光は 仏の 生命なり
生命に よりて 人は生き
生命に よりて 歴史あり
生命は 永遠に 普遍なり
仏陀ありてこそ 法はあり
法ありてこそ 僧団あり
井上功一であります。
更に、櫻の開花が進んだ晴天の03月22日(水)も、
業務終了後、
19:00復活の祈りに、参列致しました。
更に、次の段階到達。
読経しながら、
原点回帰し、
入信前のことを振り返っておりました。
幸福の科学との出合いは、
平成元年(西暦1989年)3月頃
旭日屋書店梅田店で見つけた
天照大神の降臨〜憂國の神示〜
でしたが、
次に
黄金の法→太陽の法→永遠の法
と読み進み、
その後読んだのが、
旧版の観自在力
だったと思いますが、
物心着いた頃より、
宇宙の果て、極微と極大、時間と空間に非常に関心があり、
極微と極大は一致し、心の中心にこそ神が存在すると考え、
三面鏡の相対する二鏡面の無限の世界に思いを馳せ、
思索に耽ったりしておりましたので、
旧版の観自在力(1988年9月発刊)に、その答が、単純明快に書かれており、
ビックリ仰天。入信確信のきっかけの一つとなりました。
30次元以上の存在である大宇宙の根本仏の意志が分かる悟り、霊能力。
この悟り、霊能力をお持ちであらせられるお方が、著者大川隆法総裁先生。
幸福の科学が、単なる新興宗教を遥かに超越し、
正に、「人生の大学院」=幸福の科学。
法哲学、法理論があり、法友と形而上的に、
老若男女問わず、普通に法談できる幸福の科学に集いたい。
熱望していたのを、昨日の事の様に思い出します。
備忘録として、
「観自在力(かんじざいりき)~大宇宙の時空間を超えて~」
の特に印象に残っているところを記述致します。
P3 最後にして、最勝の仏陀が現れて、人類に神仏の心とは何かを伝えているのである。
P61 結局、人間が神の子、仏の子であることの証明は、「神仏によって創り出された環境要因を、自らの自由意志によって克服し、変化させ、自分独自の個性を発揮できる」という点に求められるのです。すなわち、ここにこそ、人間が、神の子、仏の子と言われる理由があるのだと思います。
P87 それゆえに、霊能力の奥行きを知っていることが、この上なく大切なことになると思います。霊的能力を持つと、人間は、やはりどうしても天狗になり、うぬぼれ、有頂天になっていくことが多いのです。それゆえに、「霊能力の尺度を客観的に自己認識できる」ということが、この上なく重要なこととなってくるのです。
P103 信じるという行為がどのような意味を持っているのかを考えていく必要があります。それは、結局のところ、「結論と現在ある自分の考えとの間を一直線に結ぶ」ということであり、「その間の距離をなくしてしまう」ということでもあるのです。この意味において、時空間を超えることと同じ働きをなすのです。
P118つまり、漏尽通力というものは、高度な霊能力を持っておりながら、その力を自らの内に溜めていく方向であるのに対し、観自在力というのは、ある程度、その霊的能力を外に向かってほとばしらせる力であるわけです。これは、いわゆる「霊能力の極致」に向かっていく姿であると言ってもよいと思います。
P122つまり、観自在力の基礎理論としては、三次元的な「時間」と「空間」
の理論が崩壊し、新たな意味での「霊的相対性理論」が築かれることになるであろうということです。アインシュタインのつくった「特殊相対性理論」「一般相対性理論」というものがありますが、これらをもっと進めたかたちで「霊的認識力における相対性理論」を打ち立てたときに、観自在力というものがまさしくそれに当たることになるわけです。
P210 すなわち、観自在力と漏尽通力とは、同じく高度な霊能力を、その柱として持っているわけですが、「観自在力は、外へ向かうベクトル、宇宙の進化、発展、繁栄につながっていく力であるのに対して、漏尽通力は、愛と調和、秩序へと向かっていく力である」と言ってもよいのです。
P230 (著者注。右記の九次元の説明について述べると、あまり上下という感じではなく、文明ごとに活躍が違う。現時点では、エル・カンターレの分身たちが、人格神として上段階に多い。天照大神やガイヤなども、現時点では、八次元から九次元に出入できるエル・カンターレの補助神的役割を持っており、文明によっては、ゾロアスター、マヌ、マイトレーヤー、ゼウスより指導的である。モーセや孔子の力は今は少し弱い。エンリルについては、現在少し、封印中である)
P244 そういうわけで、だんだんと学んでくると、「本当の造物主というのは、いったいどこにいるのか」ということが推定されてくるのですが、私の認識の及ぶかぎり、少なくとも二十次元以上の存在のことを「始源の神(仏陀)」と言ってよいのではないかと思います。
なお、上位霊から伝え聞くところによれば、つまり、高級霊たちが伝説として聞いているところによれば、宇宙の次元というものは、実は「二十次元」や「三十次元」というようなもので済むものではなく、もっともっとはるかに高次な次元構造があるということなのです。
P246 したがって、現時点では、その大きな超越した意識のなかに、人間が小さな点として、個性として育まれているということを理解するをもって、神仏、根本仏(根本神)の正体を理解したと言わざるをえないでしょう。
P279 (著者注。宇宙のメシアと交流するときのエル・カンターレ意識は十三次元宇宙以上と言える)
P281 さらに、「地球意識」というものがあります(著者注。地球神といわれる場合のエル・カンターレに近い)。これはいったい何であるかというと、結局、環境を提供しようとする意識そのものなのです。すなわち、ある意味においては、「場」の意識なのです。場というものを与える、「空間」を与えるという意識があります。
このように「空間」というものを与える意識があり、ここに「時間」が流れ始めたときに歴史は開始されたわけです。
P283 この「陽意識」と「陰意識」があるがゆえに、二つの極ができて、この二つの極の間を流れるものが始まりました。この流れを「時間」といい、時間のなかに、すべての「大宇宙の生成・発展・化育」が含まれているのです。
P294 「内へ向かうベクトル」「外へ向かうベクトル」と言いつつも、この大宇宙の空間像そのものを見たときには、「観自在力」という巨大な柱があって、「漏尽通力」というベクトルは、実は、この大きな柱、あるいは幹から出て、地上に向かって下りている枝の一本にしかすぎないのです。
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- 2023/03/22(水) 22:17:45|
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