井上功一であります。
ゴールデンウィーク中日の
本日05月02日(月)は、
出勤途上8:30頃、
大阪市旭区赤川付近で、
煙が高く上がっており、火災。
冷え込む朝でしたので、
暖を取る際の不注意だったのかもしれません。
さて、
本日05月02日は、
3年前の令和元年(2679年)
4月5月の御世代わり10連休中、
右大腿骨粉砕骨折した日。
丁度、令和時代2日目。
手術リハビリで、
丹後半島の病院に入院して、
連休明け7月16日(火)に、
退院帰阪する迄、
2ヶ月半入院し、
コロナ禍の翌年令和2年(2680年)6月は、
その抜釘手術(チタンシャフト抜き)で16日間入院。
この入院期間中は、
三食昼寝付、ヘルシーな病院食も美味しく、掃除もして貰え、
医師、看護師さん、ヘルパーさん、理学療法士さん、売店のオネイサン他
病院スタッフの方々も、非常に親切。
有志による励まし合いながらの屋外歩行自主練。
年配の入院患者さんとの四方山話も楽しく、正にホテル住まい。
時間があるので、毎日、読書三昧、思慧三昧。
非常に楽しく実りある思い出深い入院生活で、
英氣を養う良き機会となりました。
お陰様で、完全復活し、
逆に、怪我前より、筋力が向上した感もあり、
本日、抜釘したチタンシャフトを眺めながら、
感慨深く当時を振り返っております。
また、
いつも、心掛けておることですが、
やはり、
・常日頃から、出来ることを、出来る時にやっておくこと。
・自分が突然居なくなっても、誰でも出来るオープンなやり方、体制にしておくこと。
を、改めて痛感しました。
ここが、幸福の科学の最大の救いと言えますが、
いかなる病氣、怪我、その他人生上アクシデント、苦難困難も、
必ずや、何らかの魂の糧となりますね。ほんと。
<ここから当時の備忘録>
・令和元年5月2日(木)に、
実家の豊岡から、ロードバイク(自転車)で、
丹後半島一周して大阪へ帰る途中、
静御前を祀る静神社も近い、
丹後半島の七竜峠ロードパークにて、
休憩中、濡れた石畳の上に、櫻の花弁が散っており、
停止状態で、自転車立ちごけ。
最初は、捻挫くらいかと思い、
30分くらい、体育座りして回復を待っておりましたが、
立てず、右脚が2~3cm縮んできましたので、
「大腿骨骨折した。」と思い、自分で救急車を呼び、
自転車も積んで貰って病院へ搬送。
右大腿骨骨折した以外
自転車、シューズ、ヘルメット、ウェア、サングラス
全く無傷だったのが、不幸中の幸い。
・病院に着くと、
手術衣に着替えさせられ、
尿道カテーテルを差し込まれて、
(私の場合、入れる時も、抜く時も
全く痛く無く、返って快感だったくらい)
麻酔無しで、
骨折した脚をひっぱられたり、曲げられたりしながら、
レントゲン、MRI、CTスキャンを撮りましたので、
この時が、最も痛かった記憶があります。
・夕方に、他の手術があるので、その後、
手術をする予定になっておりましたが、
大腿骨骨髄に差し込むシャフトが短い物しかなく、
連休明けにしか入ってこず、
手術日は、連休明けの7日(火)となりました。
しかし、
手術する迄の5日間
骨折箇所が強靭な筋力で潰れてしまう為、
膝に穴を開けて、ワイヤーを通し、
5kgの錘で、右脚を引っ張られておりました。
・この5日間の間に、会社の業務引継書を、ガラケイで作成。
裸同然で入院しましたので、箸、歯ブラシ、コップ、スリッパ
他、携帯充電器もお借りしたりして、
ヘルパーさん、看護師さん、非常に親切にして頂きました。
・腕のいい先生で、3時間掛かると言われていた手術は、
1時間半で終了。翌日から早速リハビリ開始。
理学療法師さんには、本当お世話になりました。
・骨が生成されるまで2週間かかり、その間は、
車椅子か、松葉杖ケンケン歩き。
それでも、外出許可を得て病衣のまま、
自宅水道代、電氣代を支払いに
車椅子で坂を上り下りし、郵便局迄
行ったりしておりました。
・その後リハビリ病棟に移り、
1日2回2時間のリハビリの他、
エルゴメーターで、ペダリング高回転練習。
自主練として、早朝4:30起きで朝練。
外出許可を得て、町を歩行訓練。
を積極的に実施しておりました。
・看護師さんと一緒に、
金比羅神社花火大会を見たのも、懐かしい思い出。
・職場の方にも、不在中、快く業務支援頂きましたし、
遠路遥々自動車で見舞いに来てくださり、
自転車を大阪に持って帰ってくださったことも、
本当、有り難いことでした。
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テーマ:健康 - ジャンル:ヘルス・ダイエット
- 2022/05/02(月) 22:09:22|
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