井上功一であります。
一日曇りで、涼しかった09月24日(金)は、<南洲忌>。
144年前の明治10年(西暦1877年)
西郷隆盛先生が、
西南戦争の責めを負い、自刃された日。
止水明鏡の如き至誠一貫に、敬意を表し、
世界に冠たる大日本帝國の再興を、
改めて誓いたい。と思います。
明治維新の原動力の一つは、
二宮尊徳、渋沢栄一、上杉鷹山共に、
日本型資本主義精神の始祖と言われる
石田梅岩先生の「石門心学」である。
と言われておりますが、
その質疑応答集が、
「都鄙問答(とひもんどう)」。
番頭、若旦那、儒者、仏教僧、学者他、
多種多様な人間が、質問を投げかけ、
それを、
「道」「心」を中心概念に応える
質疑応答集。
江戸時代徳川吉宗治世下で、300年前ですが、
仏教僧であっても、転生輪廻を理解していなかったり、
神道者であっても、日本書記の宇宙の創世記が信じられず疑念し、
番頭であっても、質素倹約とケチの違いが分からず、
馬鹿息子が、親のお陰で学問したにも関わらず、天狗になって講釈垂れたり、
三輪清浄より、世間体で布施をしたり、
「あの世を、ほとんどの人が信じていた江戸時代」と言いながらも、
非常に、現代とほぼ同様な風土が感じられ、意外で、不思議な感覚でした。
やはり、
ここまで
「宇宙を含めた霊界が単純明快に開示されている時代」
は、
エル・カンターレ降臨され幸福の科学が存在する正に現代。
改めて、非常に有り難い時代だと再確認致しました。
「都鄙問答(とひもんどう)」の少々面白いところを、
以下、記述しておきます。
但し、現代語訳
心を知ることが学問の出発点
心は、体の主人
私が教える目的は、刻苦勉励すれば、
誰でも日々を安楽に送れるようになると悟らせることだ。
真の学問とは、少しも「私心」がない境地に達することである。
天の力が及ばないところを教え、世の中を救う聖人がいないと、
天の徳は現れない。
彼岸が心の中の浄土ということは明白である。
浄土とは、自分自身の心を指すのだ。
神に仕えるのは、心を明らかにするためだが、
心がよくわからなければ、
かえって早々に神罰を受けることになるだろう。
昔は、正しい道を知って徳を積んだ人に接して人々が感じ入り、
懇願して寺社を建立してもらったように思われる。
そのことを考えるなら、
今日でも、道を悟った徳のある神主や僧侶が人々を導き、
商家の旦那衆もその人から教えを受けることで心が安楽になり、
生死に関わる疑念も消え去るというなら、
神主や僧侶が奉賀帳を出さなくても、どんな社や堂宇でも建てられるはずだ。
昔も今も、人の心は天の命に従っている。
どんなに時代が移ろうと、そのことは少しも変わっていないのである。
社寺に奉賀する人に、例え髪の毛一本ほどであっても私心や私欲が宿っていると、
その人は不義を犯している類と見なされる。
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テーマ:幸福の科学・幸福実現党 - ジャンル:政治・経済
- 2021/09/24(金) 00:16:55|
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