しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ
朝日にゝほふ山ざくら花
本居宣長

井上功一であります。
本日3月23日は、
40年前の昭和56年(1981年)、
大川隆法総裁が、
宇宙の根本仏、地球神=エル・カンターレの悟りを開かれ、
大悟された記念日「大悟祭」。
正に、地球人類史、宇宙史の転換点。
「大悟40年」を、心より奉祝致します。


また、
76年前の昭和20年(1945年)、
大日本帝國陸海軍聯合艦隊によって、
天一号作戦(沖縄特攻)発動が下令された日でもあります。
大日本帝國陸海軍が、
4月1日に沖縄へ上陸した米軍の艦隊・船団に対して
大規模反撃を加える為に、
4月6日に、
戦艦大和他の海上特攻と共に、
戦艦大和大和以下の第2艦隊第1遊撃部隊の海上特攻と共に、
「天一号作戦」を、
陸軍は、第1次航空総攻撃。
海軍は、菊水一号作戦。として敢行しました。
以後、昭和20年6月23日、
沖縄守備隊の大日本帝國第32軍が玉砕するまで、
11回の航空総攻撃、
10回の菊水作戦を敢行。
陸軍約1000名、海軍約2000名が、特攻作戦で散華されました。
特攻により、
旗艦空母「バンカーヒル」「エンタープライズ」大破他、
激烈な戦果を挙げました。
また、1トン魚雷を搭載した陸軍キ-67三菱四式重爆撃機「飛龍」も、
徳之島近海で、敵輸送部隊雷撃にて、奮戦し、
多大なる戦果を挙げておりました。

ここに、
特攻作戦に参戦されました
帝國軍人の皆様の武勲を顕彰致すと共に、
感謝の誠を捧げ、
大和魂の精華=特攻精神を、
次世代へ継承せんことを、お誓い致します。
ところで、
帝國海軍の空母機動部隊の戦い方は、
艦上戦闘機で、敵戦闘機を制圧、制空権確保。
敵対空砲火の中、艦上爆撃機で、敵艦船を急降下爆撃。
敵対空砲火の中、艦上攻撃機で、敵艦船を航空魚雷攻撃、水平爆撃。
といったスタイルでしたが、
昭和19年時点で、
空母も実質無くなり、
搭乗員消耗激しく、養成が追い着かず、
若い飛行学生、飛行予備学生、飛行練習生が、
初期飛行訓練の後、特攻訓練を経て、
死中に活路を見出す必死必中の戦略である
特攻に出撃され、散華された真心は、
大和魂の精華であり、
人類史に誇る自己犠牲の精神。
次世代へ継承することが、
我が國が、
天御祖神開闢以来、
正史30000年を誇る
神洲として再興することに
直結すると考えます。
3月23日は、「大悟祭」「天一号作戦(沖縄特攻)発動下令日」
12月8日は、「降魔の日」「正義の戦争=大東亜戦争開戦記念日」
と一致しておりますのは、必然であり、
歴史修正の強い意志と太陽の國としての覚醒が込められている。
のではないか。と推察しております。
我が國の望みは、耀き、努めは、重し。
*余談話で、
以前、私(井上)は、
高槻市内で、戸別訪問している時、
沖縄航空特攻である
天一号作戦(陸軍:航空総攻撃、海軍:菊水作戦)に、
1トン航空魚雷を搭載した陸軍キ-67三菱重爆撃機「飛龍」自在丸中隊
隊長機の操縦員として、徳之島近海で、敵輸送部隊雷撃に、
連日参加された
内藤廣司(大正15年(西暦1926年)2月20日生)に、
偶然お会いし、
沖縄航空特攻のお話をお伺いし、
手記と写真他資料を頂きました。
内藤さんは、
中学卒業後、幹部候補生として、陸軍の飛行学校に入校。
沖縄航空特攻が初陣で、
雷撃により多大なる戦果をい上げながらも、
敵戦闘機P-38(双胴の悪魔)の着陸間際の襲撃により、
中隊が壊滅し、
戦死者30名となる中、
胴体着陸で難を逃れ、
生存者6名の内の一人となり、
生きて、大阪へ帰ってこられた方でした。


【ご参考】
1.天一号作戦
(1)帝國陸海軍作戦計画大綱
・マリアナ決戦、比島(フィリピン)決戦(捷号)の失敗により、
本土決戦が現実味を帯びる中、昭和20年(西暦1945年)1月19日に、
本土防衛の方針「帝國陸海軍作戦計画大綱」が、上奏裁可されました。
・昭和20年4月8日には、「決号作戦準備要綱」が、示達され、内地防衛軍を解隊。
第一総軍、第二総軍、航空総軍を、創設。
第一総軍は、東海以東。
第二総軍は、中部以西。
として、関東と九州を重視する防衛準備が、命じられました。
・特攻作戦
航空特攻
陸軍:約2100機(別に500~1000機の増加を計画)
海軍:約3700機(櫻花等を含む)
水上特攻
陸軍:特攻艇 約2000隻
海軍:震洋 約2900隻
水中特攻
海軍:鮫竜74隻 海竜252隻 回天118隻
(2)天号航空作戦
・「帝國陸海軍作戦計画大綱」に基づき、「東支那海二於ケル航空作戦」を、「天号航空作戦」と呼称。
・昭和20年2月6日、帝國陸軍参謀総長、帝國海軍軍令部総長は、
昭和20年度前半期において、航空作戦、
特に、東支那海周辺地域の航空作戦(天号航空作戦)と、特攻兵器活用の方針を示達。
・「天号航空作戦」は、敵の来攻地域により、「天一号」から「天四号」の4作戦区に区分され、
「南西諸島から台湾」即ち沖縄に来攻に対処する場合が、「天一号作戦」であります。
・戦艦大和が、海上特攻を実施した昭和20年4月6日、
「天一号作戦」が、第1次航空総攻撃(陸軍)、菊水一号作戦(海軍)として敢行されました。
以後、
6月23日、沖縄の第32軍が玉砕するまで、11回の航空総攻撃、10回の菊水作戦を敢行。
陸軍約1000名、海軍約2000名が、特攻作戦で散華されました。
それ以外にも、昭和20年8月16日までに、707機の特攻機が、沖縄へ出撃。
・1トン魚雷を搭載した陸軍キ-67三菱重爆撃機「飛龍」も、徳之島近海で、敵輸送部隊雷撃で、参戦。
2.沖縄戦の真実→決して、本土は沖縄を見捨てず、沖縄県民も志願して戦闘
・皇軍も、沖縄を護るべく激戦を戦い抜きましたが、
民間人の志願により組織された「防衛隊」「鉄血勤皇隊」「ひめゆり部隊」「白梅部隊」も、死力を尽して戦闘されました。
軍令により、集団自決させらたというのも、全くの嘘デタラメ、捏造。
住民自らが、米軍の捕虜となり、辱め、拷問を受けて、恥を晒して生きるより、自発的に自決したのが、真実。
それを、強制させられたとするのは、自決した方々の名誉を汚すことになります。
・上皇陛下も、皇太子時代「日本人として、忘れてはならない日が4つある。8月6日、8月9日、5月15日、6月23日である。」
という旨を、仰せになり、沖縄に、常に、心をかけていらっしゃいます。
3.特攻、玉砕が、アメリカ軍に与えた精神的ダメージ
・昭和20年6月米国務省内の会議
「サイパン・硫黄島・比島・沖縄と、戦場が本土に近づくにつれ、
日本の捨て身の抵抗が強くなるばかりで、特攻戦法が熾烈を極めている。」
と報告。
・原子爆弾と細菌兵器の製造計画に最初から関与していた
スチムソン陸軍長官の1945年7月2日大統領への覚書
「日本本土上陸作戦の準備は進行しているが、もし実行となると、
日本は気狂いのように抵抗し、米軍の損害見込みは、
死傷者あわせて百万人を越すだろう。
この作戦をやらないですむに越したことはない。
日本の天皇制を認めて、降伏を勧告すべきだ。」
・大統領付幕僚長レーヒ提督の言及
「日本を無条件降伏させなければ、
こちらが負けというわけではない。
無条件降伏以外の降伏でもいいではないか。
無条件に固執して、われわれの戦死者を多くしても意味がない。」
スポンサーサイト
テーマ:大東亜戦争の本当のこと - ジャンル:政治・経済
- 2021/03/23(火) 20:00:56|
- 祭政一致、國史、國體、教育(思想統制、言論統制と戦う)
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0