井上功一であります。
昨日、
ゴールデンウィーク二日目
04月29日(日、祝)も、
5:00頃から、
雲一つ無い快晴の五月晴れ、
激動の昭和、
人類史の転換点となった偉業
大東亜戦争遂行の偉業を敢行され遊ばされた
先帝陛下のご遺徳を偲びながら、
皇國未来三千年の彌榮を願い、
世界に冠たる皇國=大日本帝國の再興を期し、
少々所用を片付け、
11:00頃から、
北極星の化身
法華経の守護神
武人の守護神
北極星信仰の世界的聖地
へ、
ロードレーサー(自転車)で、
ショートライド。
氣温は、山でも22℃。
湿度も低く、太陽は輝き、
爽やかな自転車日和。
青紫の藤の花が、咲き誇り、
鶯他、野鳥が囀り、
青空の下、益々、新緑が輝き、
田植えが、始まり、
ゴールデンウィークを演出。
北摂の山々は、自転車の聖地でもありますので、
サイクリストも、多数見かけました。
西田橋から
隠れキリシタンの里である
泉原、下音羽を経て、
多留美峠を越え、
野間口側より、
妙見山山頂迄登頂。
丁度、
子供達に、
智慧と元氣を与えるという
星陵祭(こどもまつり)が、
開催され、
境内に、出店も出展され、
家族連れで、賑わっておりました。
峻厳な大自然の中、
子供さんが、氣軽に、
信仰体験されることは、
人格形成に、強い影響を及ぼすことと、
思います。
*余談話(能勢妙見山について)
1.由来
天平勝宝年中(西暦750年頃)、
能勢妙見山が、
まだ、為楽山と呼ばれていた頃、
北斗七星の方角から、
UFOに乗って
星の王様がこの山に降りてきて、
村人達は行基菩薩に請い、
その山頂に北辰星をお祀りしたのが
北極星信仰の始まり。
北極星を守護する星として、
北斗七星と輔星の8つの星が、
あるといわれております。
飛来した星の王は、
多分、アンドロメダ方面。
能勢妙見山は、
天御祖神、天御中主神と強いご縁が
あると、常々自負し、
能勢妙見山には、
しばしば、
自転車の練習を兼ね、
上っております。
2.清和源氏の鼻祖=源(多田)満仲公も、厚い妙見信仰
源(多田)満仲公は、
寛和2年(986年)
邸宅内にお祀りされていた鎮宅霊符神像(妙見大菩薩像の別称)
を、能勢妙見山へ遷座。
3.能勢妙見山が、日蓮宗の霊場になった経緯
・多田満仲から数えて23代目能勢頼通(よりみち)の時代、
織田信長に加勢した隣藩山下藩により、能勢藩は、居城を攻められ、
頼通は、謀殺。
・能勢頼通(よりみち)の19歳の弟、能勢頼次が、
23代目とななったが、
その後、
本能寺の変で、明智光秀側についた為、
秀吉軍に攻められ、
備前(岡山)にある
能勢氏の先祖が寄進した日蓮宗の妙勝寺へ
落ち延びる。
・関が原の戦いで、徳川方で、武勲を立てた為、
能勢頼通は、取り立てられ、能勢の領地を与えられる。
・秀吉軍に攻められ落ち延びて19年、
備前の妙勝寺で「南無妙法蓮華経」のお題目を唱えて能勢氏再興を願い、
再興が適い、
もっと法華経の信仰を深めたいという想いにかられ、
日乾上人の説法を聞き、大変感動。
日乾上人に帰依。
それ以降、
能勢妙見山を、日蓮宗の霊場とし、
能勢氏は、日蓮宗の外護者となる。
ルート
伝法→43号線→伝法大橋→なにわ自転車道→新三国橋→三国
→神崎川右岸道路→高川右岸道路→服部緑地公園→南千里→山田
→北千里→今宮→外院→粟生外院→西田橋→泉原→亀岡街道→上音羽
→多留美峠→余野→野間口→国崎野間口線→妙見山山頂
→茨木能勢線→金石橋→高山→箕面滝→箕面駅前→ロマンチック街道
→上野坂→神刀根線→天竺川右岸道路→三国→新三国橋→なにわ自転車道
→43号線→伝法大橋→伝法
T4:43:16
D88.39
A18.39
M54.8
Author:井上功一
私は、
皇國民、日本國民であります。
天御祖神を開闢の始祖せる
正史30000年を誇る
我が國が、
『祭政一致』の國體、
肇國の精神『八紘一宇』
に回帰することにより、
天孫であらせられます
天皇陛下を奉戴せる
世界に冠たる皇國=大日本帝國として
再興致すことをを期して、
日々、精進しております。
尚、
私は、
靖國神社崇敬奉賛会会員、曹洞宗檀家
國粋主義者、民族派、
であります。
座右の銘:生死一如(ショウジイチニョ)
尊敬する人:神功皇后、大西瀧治郎
趣味:オペラ鑑賞、自転車