JAPAN ERWACHE!
正義の戦争=大東亜戦争終結72年
支那事変制圧80年
7月7日は、コミンテルンによる蘆溝橋事件の日
12月13日は、皇軍による南京解放治安回復祝祭日
大日本帝國軍人は、皇國の譽
天皇弥榮
祭政一致
八紘一宇
皇軍復活
日本核武装
暴支膺懲
北朝鮮征伐
井上功一であります。
昨夜は、業務終了後、
大阪市此花区伝法に鎮座する
の夏祭へ
参拝致しました。
地元の神様とより懇意となり、
地元大阪市此花区の郷土史、先人の偉業
を深く理解し、
地元の神様方とより懇意になる為、
地元大阪市此花区に
鎮座する神社夏季例祭へ、
参拝するシリーズ5回目。
鴉宮は、800年、
澪標住吉神社は、1200年
の由緒正しい歴史を誇る古社であります。
特に、
鴉宮は、
豊臣秀吉公朝鮮征伐戦勝所縁の神社。
朝鮮動乱における
・北朝鮮徹底懲罰殲滅
・日米戦勝
を強く祈念して参りました。
本日は、宵宮で、
鴉宮周辺は、夜店が多く、
参拝客で賑わっておりましたが、
澪標住吉神社では、
境内にゴザを敷いて、
神輿を担いでいたオッチャン達が、
寝転んで、
飲酒食事中で、
少々ひっそりしておりましたが、
なかなか情緒がありました。
1.御祭神
・鴉宮
天照皇大神、
住吉大神(底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后)
恵比須大神
市杵島比売大神
・澪標住吉神社
天照皇大神
住吉大神(底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后)
八幡大神
神武天皇
2.鴉宮の謂れ
800年前の建保3年(1215年)、
伝法村の船問屋衆が
村と港の繁栄を祈念し
として、鎮座。
伝法村は、淀川河口の港町として、
隆盛を極めました。
文禄元年(1592年)2月19日
豊臣秀吉公は、
朝鮮征伐の為、海陸の大軍を挙げるに当たり、
其軍港を
「傳母(もり)村川口ノ港」
と定められ
出征の時に際して
傳母頭(もりす)神社奉紀神主、田中八太夫に命じて、
「海路の平穏」
「武運長久戦捷」
の祈願をさせられました。
神主田中八太夫の夢に、
「社頭の森中より
三足の鴉を飛ばして
軍船に駕せしめ、
海路の方向を示し且つ守護なさしめん。」
という
神のお告げがあり、
翌日、秀吉公に報告すると、
大変満足され、
即刻、
神主田中八太夫を、
此遠征に於ける水先奉行とされました。
お告げの通り、
朝鮮征伐の海路は、波平らかで、
三ツ足の鴉は、
常に、軍船の前後に飛翔し、
真に守護の任を全うし、
無事、朝鮮半島へ上陸。
日本軍は、百戦百勝。
朝鮮に、「城下の盟」を誓わせました。
文禄2年(1593年)1月16日未の下刻に、全軍凱旋。
翌17日、
秀吉公は、傳母頭神社に参拝し、自ら凱旋の報告祭典を執行。
「傳母頭神社」を改め、
「鴉之宮」
の名を贈り、
鴉が巣を成している森へ
遷座させ、
「鴉之宮」に、
神領を入津料として
碇泊船より納米せしむる権利を与えられました。
3.澪標について
澪標住吉神社の神紋であり、
大阪市の市章でもある
澪標(みおつくし)は、
河口付近で、船が、浅瀬で座礁するのを防ぐ為、
航路を示す標識であります。
テーマ:幸福の科学・幸福実現党 - ジャンル:政治・経済
Author:井上功一
私は、
皇國民、日本國民であります。
天御祖神を開闢の始祖せる
正史30000年を誇る
我が國が、
『祭政一致』の國體、
肇國の精神『八紘一宇』
に回帰することにより、
天孫であらせられます
天皇陛下を奉戴せる
世界に冠たる皇國=大日本帝國として
再興致すことをを期して、
日々、精進しております。
尚、
私は、
靖國神社崇敬奉賛会会員、曹洞宗檀家
國粋主義者、民族派、
であります。
座右の銘:生死一如(ショウジイチニョ)
尊敬する人:神功皇后、大西瀧治郎
趣味:オペラ鑑賞、自転車