



これでよし
百萬年の
仮寝かな
わが声価は、
棺を覆うて定まらず、
百年ののち、
また知己なからんとす
井上功一です。
靖國神社参拝後、
本日8月15日(土)午後、
曹洞宗大本山總持寺へ、
参詣し、
特攻作戦の責めを負い、
昭和20年08月16日
自決された
帝國海軍航空艦隊育ての親、
神風(しんぷう)特別攻撃隊創始者、
特攻の父
大西瀧治郎海軍中将
の墓参をしてきました。
戒名
宏徳院殿信鑑義徹大居士
ソ連が参戦した翌日、
昭和20年08月09日より、
御前会議であり
「最高戦争指導会議」
が開かれ、
帝國海軍に於いても、
米内海相を頂点とする
デスワーク
和平派
豊田軍令部総長を頂点とする
前線
徹底坑戦派
が、
激論を交わしておりましたが、
結局、14日に、和平派が勝ち、
15日に、
玉音放送を賜り、
終戦となりました。
軍令部次長であった大西中将も、
最後の最後まで、本土決戦、長期持久戦を、
主張されていらっしゃいました。
終戦の翌日16日
02:00~03:00
特攻作戦の責めを負い、
官舎で、
作法に則り、
腹を十字に切り、
切腹により、
自決されました。
享年55歳。
発見された後も、
介錯を拒み、
10:00頃、絶命されました。
その間、
痛いとか、苦しいと言った言葉は、一言も無し。
正に、武人の鑑であります。
戦わずして敗れ、
他國の奴隷として生きるを、
良しとせず、
必死必中の戦略により、
死中に活路を見い出す
「特攻精神」
は、
日本精神、大和魂の精華。
我が國の自信と誇りの源泉。
幸福実現党精神そのもの。
皇國の再興を期し、
次世代に、
正しく継承して参る所存であります。
また、
「特攻精神」は、
「一瞬一生」「生死一如」といった
禅の悟りの極致であります。
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テーマ:大東亜戦争の本当のこと - ジャンル:政治・経済
- 2015/08/15(土) 16:14:05|
- 祭政一致、國史、國體、教育(思想統制、言論統制と戦う)
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